脚本家の相沢友子(あいざわ ともこ)さん。
連続ドラマ『セクシー田中さん』、映画『ミステリと言う勿れ』『重力ピエロ』などの脚本を担当していることでも知られていますよね!
そんな相沢友子さんはどのような経歴をお持ちなのでしょうか?
今回は、相沢友子さんのwiki経歴ついて調査したいと思います。
相沢友子のwiki経歴・プロフィール
- 名前:相沢友子(あいざわ ともこ)
- 生年月日:1971年5月10
- 年齢:52歳(2024年1月時点)
- 出身地:東京都
- 血液型:B型
- 職業:脚本家
相沢友子さんの経歴は以下の通り。
- 1991年3月(19歳):ソニーミュージックに所属し、「Discolor days」でシンガーソングライターとしてデビュー
- ホリプロに所属し、女優として活動しながらアルバムを4枚発表
- ソニー・ホリプロとの契約を解消し、フリーへ転身
フリー直後に、ホリプロ時代のマネージャーに小説を書くことを勧められる - 1999年:第15回太宰治賞の最終候補作に小説『COVER』がノミネート
- ホリプロ時代のマネージャーの紹介で小椋久雄に脚本執筆の指導を受ける
- 2000年:『世にも奇妙な物語』の「記憶リセット」で脚本家デビュー
19歳で歌手デビューし女優としても活動
現在は脚本家として活躍する相沢さんですが、元々は全く別のフィールドにいたそう!
高校時代は、文化放送でコンサート・リポーターを務めていたそうです。
その当時、ノートに詩を書き留めていたという相沢さん。
そんな相沢さんを見たソニーミュージックのスタッフに歌うことを勧められ、
19歳の時に「Discolor days」でシンガーソングライターとしてデビューします。
I'm listening: Discolor days – 相沢友子(Album:部屋のない扉) #nowplaying pic.twitter.com/58odr1NSDO
— MY. (@my_stapha) September 3, 2016
その後は、ホリプロに所属し、女優活動もしながら、4枚のアルバムを発表しています。
- 部屋のない扉(1991年3月21日)
- アスベストの海の中を(1992年2月21日)
- 胸の音(1994年8月21日)
- 安心毛布(1996年6月21日)
しかし、火手の活動はなかなか険しかったよう。
音楽の道が上手くいかず事務所との契約がなくなり、何もしてない時期を過ごした
と語っています。
フリー転身後、執筆の道へ
その後、ソニー・ホリプロとの契約を解除して、フリーに転身した相沢さんに転機が訪れます。
なんと、ホリプロ時代のマネージャーが
小説を書き、賞を狙ってみては?
と勧めてくれたそう。
それがきっかけで、相沢さんは執筆の道へ進むことになります。
そして、1999年の第15回太宰治賞の最終候補作に小説『COVER』がノミネート!
この結果を受けて、共同テレビジョンの小椋久雄さんに脚本執筆の指導を受けることができたそう。
2000年に脚本家デビュー
相沢さんは、2000年『世にも奇妙な物語』の「記憶リセット」で脚本家デビュー。
その後も多くのテレビドラマ、映画、配信ドラマなどで、脚本を手がけています。
20年以上も最前線で脚本を書き続けるなんて、本当にすごいですよね!
相沢友子の代表作は?
相沢友子さんが脚本を担当した作品には以下のようなものがあります。
映画
- 『ミステリと言う勿れ』
- 『プリンセス・トヨトミ』
- 『脳内ポイズンベリー』
- 『本能寺ホテル』
- 『重力ピエロ』 etc…
テレビドラマ
- 『セクシー田中さん』
- 『恋ノチカラ』
- 『鹿男あをによし』
- 『鍵のかかった部屋』 etc…
配信ドラマ
- 『僕だけが17歳の世界で』 etc…
数々の人気作で脚本を担当していることがわかりますね!
まとめ
今回は、脚本家の相沢友子さんのwiki経歴についてまとめました。
今後も相沢友子さんの作品を楽しみに、応援していきたいですね!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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