【壮絶】浅沼智也(智喜)のwiki経歴・生い立ち!風俗嬢から歌舞伎町の看護師へ!

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LGBTパレードを主催する「Transgender Japan」。

そこで共同代表を務めていた浅沼智也(本名:浅沼智喜)さん、は、LGBTに関する理解を浸透させるために精力的に活動しています。

浅沼智也さんはどのような人物なんでしょうか?

今回は浅沼智也さんのwiki経歴・プロフィールを紹介したいと思います。

目次

浅沼智也のプロフィール

  • 名前:浅沼 智也(あさぬま ともや)
  • 本名:浅沼智喜
  • 生年月日:1989年4月30日
  • 年齢:34歳(2024年3月時点)
  • 性別:トランス男性(体は女性、心は男性)
  • 出身:岡山県総社市
  • 居住地:東京都中野区
  • 所属:Transgender Japan、カラフル@ハート
  • 職業:看護師、実業家、映画監督、作家、ラジオパーソナリティー
  • 学歴:短大卒(関西)

浅沼さんは、LGBTパレードなどを主催する「Transgender Japan」で、2023年10月まで共同代表を務めていました。

【Transgender Japanとは】

トランスマーチと言われるパレードなどを主都市を中心に展開
トランスジェンダーが差別や特別扱いされることのない社会を目指し、LGBTに関する理解を浸透させるために活動している

浅沼さんはこの団体の中心となり、日本でのLGBTやトランスジェンダーに関する理解の促進をしていました。

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浅沼智也のwiki経歴・生い立ち

  • 1989年:岡山県総社市生まれ。18歳まで総社市で過ごす。
  • 高校2年生:心と身体の不一致を初告白
  • 18歳:奈良の看護短大へ進学
    母親に性同一性障害を告白
  • 19歳:ホルモン投与を開始
    大阪ミナミのショーパブでダンサーを経験
  • 20歳:胸を切除
    風俗店で風俗嬢として働く
  • 23歳:戸籍を女性から男性に変更
  • 24歳:上京
    歌舞伎町のショーパブで働く
  • 現在:看護師として働く
    ゆめのたね放送局ラジオ『虹色ジャ~ニ→』パーソナリティ
    「カラフル@はーと」主催
    「Transgender Japan」主催(〜2023年10月)

高校2年生:心と身体の不一致を初告白

引用元:浅沼智也さんXより

浅沼さんは、身体が女性心が男性でした。

このことを初めてカミングアウトしたのが、高校2年生の頃

初めて告白した相手は、高校の養護教諭だったそうです。

その後、色々な状況でカミングアウトしたそうですが、反応はさまざま。

  • 驚く人
  • 不思議がる人
  • 物珍しそうにする人
  • 拒絶する人 etc…

色々な反応があったといいます。

この経験で、日本がジェンダーに対する理解が進んでいないと感じた浅沼さん。

その後、LGBTの普及活動に従事するきっかけとなりました。

18歳:奈良の看護短大へ進学

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親を悲しませたくないけど、女性として生活するのが嫌だったという浅沼さん。

高校卒業後は県外に出ることを決心します。

昔から正義感が強かったこともあり、警察官を志しますが、身長が基準に満たず選考落ち。

「看護の仕事が向いているのでは?」という進路指導の先生のアドバイスで、奈良にある看護短大へ進学します。

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短大入学後:母親へカミングアウト

短大入学後、すぐにジェンダークリニックを受診。

性同一性障害と診断を受け、母親に「性同一性障害」を告白したといいます。

その後、返信がなかったため、2ヶ月後に連絡すると、

ごめん遅くなって。気づいてました

と返信があったそう。

しかし、実家に帰った際も、性同一性障害の話題は上がらず、ピリピリした空気が漂っていたといいます。

性同一性障害を受け入れてもらうため、岡山大学病院に母親を連れて行き説明してもらったことも。

しかし

女の子に戻るのは難しいんですか?

それってあり得るんですか?

父親からも

今でも巻き戻せるから、早く女に戻りなさい

と言われ、今すぐ理解してもらうのは諦めたそう。

その後、両親の理解を得られないまま、19歳でホルモン投与開始、20歳で胸を切除します。

右側の写真は、ちょうど20歳の頃の浅沼さんだそう。

短大卒業後:看護師になるもうつ病を発症し休職へ

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看護師の国家試験に受かった浅沼さんは、病院で働き始めます。

しかし、そこで男性のドクターからアウティングされてしまったといいます。

下はどうなってるの?

顔は女っぽいと思ってたけどそうだったんだ

など心無い言葉をかけられたそう。

浅沼さんはそれが耐えられず、うつ病を発症してしまいます。

その後、うつ病を発症し休職。

看護師として2年半働きましたが、退職することになります。

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23歳:戸籍を女性から男性へ。婚約破棄も経験

当時、婚約を交わしていた女性がいた浅沼さん。

彼女と結婚する予定で、23歳の時に戸籍を変更します。

しかし、うつ病になったことや、彼女の両親と会った時に子供の話が出て、このまま結婚してもいいの迷い始めたそう。

両親からも、彼女の幸せを考えて別れなさいと言われたといいます。

その重みに耐えかねた浅沼さんは、24歳の時に婚約破棄

24歳:歌舞伎町のショーパブで働く

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その後、ショーダンサーになろうと1人で上京

実は、19歳の頃に、大阪ミナミのショーパブでダンサーを経験していたという浅沼さん。

当時は

男になりたいんだったら根性焼きくらい我慢しろ

と度胸試しをされることもしばしば。

そんな経験がありながら、ショーダンサーを目指したのは以下の理由があったそう。

  • 自分が理想とするショーパブで働きたいと思った
  • LGBTの人たちが、メディアなどでもっと前に出るべきだと思っていた

地道に講演をしていくよりも、華やかな世界に行った方が発信力を持てるんじゃないかと考えたそう。

しかし、過酷な勤務に耐えられず、ショーパブは7ヶ月で退職してしまいます。

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歌舞伎町で看護師に

「誰かの役に立ちたい」と、再び看護師を志した浅沼さん。

現在も働く、歌舞伎町にある個人医院に勤務し始めます。

虹色ジャーニーのラジオパーソナリティーに

浅沼さんは、ゆめのため報道局の「虹色ジャーニー」というラジオ番組でパーソナリティーを務めています。

主にトランスジェンダーとしての発信を行なっていました。

その経験から、約8年間かけて自伝「虹色ジャーニー女と男、時々ハーフ」を出版しています。

任意団体「カラフル@はーと」を主催

浅沼さんは、看護師として働くかたわら、「カラフル@はーと」という団体を立ち上げ、LGBTのメンタルヘルスサポートも行なっています。

この団体を立ち上げたきっかけは、『ダブルマイノリティの人の居場所がない』という悩みを解決するため。

世の中にはいろんな人がいることをもっと柔軟に考えてほしい

そんな思いで、講演会で自分の経験や思いも発信しているそうです。

「Transgender Japan」の最高幹部に

浅沼さんは、LGBTパレードを主催する「Transgender Japan」を主催し、

2023年10月まで共同代表を務めていました。

トランスジェンダーの声を聞く場として「トランスジェンダー国会」が開かれた際は、その中心人物として国会に参加しています。

主催した「Transgender Japan」の浅沼智也さんは、冒頭の挨拶で、WHOの国際疾病分類マニュアル「ICD-11」が2022年に施行され、「性同一性障害」という概念が廃止された点に言及。トランスジェンダー等の人々が、法律上の性別を変更する場合に適用される「性同一性障害特例法」の見直しの必要性を訴えた。

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まとめ

今回は、「Transgender Japan」の最高幹部・浅沼智也さんの経歴・プロフィールをまとめました。

日本でLGBTQに関する考えを広めるため、精力的に活動されていることがわかりました。

今後の活躍も応援していきたいですね。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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